伊東博氏

友田不二男記念室では伊東博の展示を極めてわずかですが展示しています。

東博は日本におけるカウンセリングの誕生期から成長期に至るまでの長年。友田不二男と二人で”日本のカウンセリングと教育をけん引している車の両輪”と称された人物でした。

わずかながら、著書も展示しています。

東博は途中から一対一のカウンセリングから、「心とからだ」に焦点をを当てたニューカウンセリングに方向を向けました。

ニューカウンセリングの集合写真です。
参加者の顔・姿勢がスッキリ、シャッキリしているのも、ニューカウンセリングの効果です。


友田不二男と伊東博との書簡です。



 近年「ロジャーズリアン」のカウンセリングは凋落していると言われています。

それは・・・真に「傾聴」ができないカウンセラーしかいない。「傾聴」できるカウンセラーがいないからです。

世にいう「傾聴」は「傾聴」ではなく、ただ漫然と聞いているふりをしているだけ…
 「傾聴」とは、クライエントの話をカウンセラーの尺度が無(む)になって(しているのではない)いる状態でクライエントの話を聴いている時・・・それが「傾聴」ということです。

「聴き手」が無になれば「話し手」も無になるのです。(この状態を友田不二男は「真空状態」と語っていました)

この「真空」で人間の大変革が起きる・・・といっても表面的には何ら変わることはありません。


なかなか自分の尺度は「無」になりません。まして、変えようと人から言われた通りに「変わること」は決してないと思います。

 「傾聴」できないスーパーバイザーがカウンセラーの卵を指導?しているのですから、「ロジャーズリアン」は育たないのが当たり前です。

 表面的な傾聴(「無になっていない」)は傾聴とは言いません。「傾聴」という言葉がとても薄っぺらく聞こえてしまいます。それでも、聴いているというのですから・・・。多くのカウンセラーやスーパーバイザー、ご本人は聴いているつもりなのでしょう。

 もちろん、カウンセリングというものも形が変わるのも世の常ですが…なんでもあり(折衷・指示的、分析的等々)ということは何もないという事になります。つまり、何もしないほうがましということに…

友田不二男・伊東博のカウンセリングの両輪がなくなって、長い月日が経ちます。

私にとって、友田不二男記念室の役割は今の自分を確認する良い場となっています。